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合言葉はbeyond the 馬籠! 中山道の“穴場的”宿場町と絶景の巨岩城を歩く【岐阜県・東美濃の旅/前編】

飛騨高山、郡上八幡、下呂温泉に白川郷と有名観光地が点在する岐阜県で、昨今、旅好きの間で”穴場的観光地”としてじわり人気上昇中な東美濃エリア。マスコミ関係者を対象に11月下旬に開催された岐阜県主催の体験ツアーでは、その東美濃エリアの特色あふれるスポットが数々紹介された。ここでは現地で出逢った“東美濃人”たちの言葉も交えながら3日間のツアーの様子をレポート。前半は「beyond the 馬籠(馬籠を越えて)」を合言葉に、中山道の“穴場的”宿場町とその周辺を歩く。

岐阜県の穴場的観光地・東美濃エリアとは?

岐阜県南東部に位置する多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、中津川市、可児市、御嵩町の6市1町からなる東美濃(ひがしみの)エリア。このエリアは、かつて江戸と京都を結んだ内陸ルート、中山道(木曽路)の通り道にあたる。

古の街道の賑わいと山の恵みが育んだ伝統文化が息づく本エリアだが、東海道新幹線が通る岐阜地域や北陸観光などと組み合わせやすい飛騨地方などに比べると、観光的な印象がやや薄い(あくまで主観)。もう少し大げさに言うと「強い目的がなければ辿り着かない旅先」なのだが、それゆえに旅慣れた人でも発見が多い穴場的な魅力を持ったエリアともいえる。ここから始まるツアーが、そんな東美濃エリアに興味を抱く誘いとなれば幸いだ。

馬籠宿より西の宿場へ! 中山道の穴場宿・御嶽宿を散策

「東美濃を存分に楽しんでくるがよい!」と、岐阜駅前の信長像に背中を押されるかのように岐阜市を出発した我々一行は、約1時間の移動の後、まずは最初の目的地である「御嶽宿(みたけじゅく)」に到着。

江戸時代の風情残す御嶽宿。名鉄広見線・御嵩駅から徒歩すぐの場所で、電車でも簡単にアクセスできる。

「69か所の宿場がある中山道の中で、御嶽宿は日本橋から数えて49番目の宿場です。上りだと、ここが木曽谷に入る山間地域の入り口で、上ったり下ったりを繰り返しながら、有名な馬籠宿へ続いていきます」

現地でそう案内してくれたのは、御嵩町の職員で「中山道みたけ館」の学芸員を長年務めた栗谷本真さん。

中山道みたけ館に展示されている宿場の再現模型前で、御嶽宿の成り立ちを説明してくれた栗谷本真さん。中山道を自転車で踏破した経験を持つ。

中山道の宿場巡りというと、長野県と岐阜県の県境で向かい合う妻籠宿(つまごじゅく)と馬籠宿(まごめじゅく)が主なハイライトで、特に関東から中山道を訪れた経験のある人の中には、「馬籠止まりで、それより西の宿場には行ったことがない」という人も少なくないだろう。

かつて東美濃には、東から順に馬籠宿、落合宿、中津川宿、大井宿、大湫宿、細久手宿、御嶽宿、伏見宿という8つの宿場があった。それぞれの宿場が今に往時の面影を留め、御嶽宿も本陣跡が残るほか、隣接する中山道みたけ館で歴史や伝統文化に関する資料を見ることができる。

御嵩宿本陣跡。岐阜県内に17か所ある宿場町のひとつ。

弘仁6年(815)創建の古刹で、国の重要文化財に指定される24体の仏像群が安置されている「大寺山 願興寺」の門前町として発展した御嶽宿。中山道の中でも最も早く造られた宿場町のひとつであり、栗谷本さんは「自分に対抗してくる勢力を抑えるための交通網を作る思惑もあって中山道を整備した徳川家康にとって、山間地と平坦地が切り替わる御嵩はとても重要な要項であり、いち早く宿場を設けたのでしょう」と語る。

ジオラマで再現された江戸時代の御嶽宿。

間口が狭くて奥行きが長い“うなぎの寝床”的な建物が多いのが御嶽宿の特徴。一方、明治に入り宿場町としての役割を終えると亜炭(燃料の一種)の産地として栄え、石油が普及する前の日本の近代化を支えた。栗谷本さんの解説の中には、「御嵩の炭坑がにぎわった当時、坑内で働いていた人たちが豚の内臓をスコップの上で焼いたものが、今のホルモン焼の発祥(諸説あり)」という興味深い話も。

また、個人的に意外だったのは、この地に隠れキリシタンの歴史が残っていること。館内では石に掘ったマリア像や十字架のほか、水神様に偽装を施した隠れ信仰の跡など、さまざまな資料を見ることができる。

後ほど紹介する「木曽海道六拾九次之内」 の世界を再現した空間も。

なお、ここでは偶然近くにいた地元のご婦人に声をかけられ、予定外のトークに発展。「この歳でも元気でいられるのは、昔、近所で見つけたマリア様の像を60年近く掃除してきたおかげ」という彼女の言葉の中に、信仰の自由が許された今の時代にも息づく、この地の祈りの文化を感じることができた。

なお、現在本堂を解体修理中の願興寺では、2027年春にその完成を記念した特別開帳が行われる予定。従来は12年に一度の子年にしか見られない秘仏の御本尊「薬師如来坐像」が公開予定で、御嶽宿含め大きな話題となりそうだ。

琵琶峠に残る中山道の石畳道で、朴葉寿司の森林ランチ!

御嶽宿を後にして車で30分ほど移動した一行は、瑞浪市の「琵琶峠」で中山道の石畳道をプチトレッキング。現地に着くまでの間、山間地に分け入っていく車中からの景色はだんだんと秋色に染まり、里っぽい風景へと移り変わっていく。

森林の中を歩く琵琶峠の石畳道。

琵琶峠は大湫宿と細久手宿の間に位置し、全長約730メートルという日本最長級の石畳が残る峠道だ。途中には南北2つの塚がほぼ往時の形を留める「八瀬沢一里塚」があり、峠の暗部には旅人の安全を見守る馬頭観音と、幕末に京から江戸の徳川将軍家に嫁いだ皇女・和宮の歌碑が立っている。

琵琶峠に立つ「馬頭様」。中山道にはいくつかの馬頭観音があり、それぞれ異なる表情も見どころ。

石畳の感触を自らの足で確かめつつ、途中「休日ごとに何か所かの宿場を渡り歩き、数カ月をかけて中山道の踏破を目指している」という関東からの旅人との会話を挟みながら峠越え。ちょうど下りに入ったところでお腹がグゥ~と鳴るのを感じ、時計を見ると時刻はちょうどお昼時……ということで、この日は街道沿いのベンチで森林ランチを楽しむことに。

昼食に提供されたのは、郷土名物の「朴葉寿司」のお弁当。ふるさとを感じさせる滋味深い味わいで旨い!

中山道広重美術館で名作浮世絵の摺師気分を体験!

空腹が満たされたところで、次は恵那市にある「中山道広重美術館」で浮世絵鑑賞。

宿場町の切妻屋根をイメージした意匠が印象的な「中山道広重美術館」の外観。

現在、大河ドラマの影響で美術ファン以外からも注目を集めている浮世絵。宿場を描いた浮世絵というと、歌川広重の「東海道五十三次」が広く一般的に有名だが、広重は渓斎英泉との共作で「木曽海道六拾九次之内」 という連作で中山道も描いている。同館では全71図ある同作品の初刷りと、そのほか版元の異なる複数の版を所蔵。毎年3か月ほど、同作をメインにした企画展を開催しており、幸運にも我々はそのタイミングに伺うことができた。

2025年8月末から12月初旬まで開催されていた特別企画展「木曽海道六拾九次之内~摺り違いの愉しみ~」。同じ作品を複数の版で見比べ、摺り師ごとの味わいの違いを楽しめるのは、所蔵作品が豊富な同館の醍醐味。

「英泉と広重とでは描き方に違いがあり、それぞれに良さがあります。英泉は人物を大きく描いてその場所の雰囲気を伝えている一方、広重はどちらかというと風景の中に人物を置き、遠近法などを用いてレイアウトを工夫しながら風景全体を伝えようとしているところが面白いですね」

「木曽海道六拾九次之内」 の魅力をそう語ってくれたのは同館の伊藤英晃館長。併せて「春夏秋冬の季節感や雨などの気候も緻密に表現している点」も同作の見どころだと同氏は言う。

「中山道広重美術館」の伊藤英晃館長。同館では浮世絵の制作工程も詳しく紹介している。

見ごたえある展示もさることながら、浮世絵の重ね擦り体験ができるのも同館ならではの楽しみ。2階の浮世絵ナビルームでは実際の摺りを模した仕組みで5色の版を摺り合わせ、「木曽海道六拾九次之内」の中でも傑作と名高い《雨の中津川》などを自分の手で絵に起こすことができる。

版木を模したプレートの上にインクを塗り、その上に白紙を乗せ馬連をこする。

訪れたタイミングが平日の昼間だったこともあり、馬連(ばれん)をこする体力と色を正確に重ね合わせる緻密さが両方求められる体験ゾーンは大人の熱気がムンムン。白紙の上に色が重なるたび、まさに“世”界が“浮”かび上がる感覚に感動を覚えた。

途中まで、しっかり絵になっているのか自信が持てなかったが、最後の「黒」を摺ったところでバッチリ完成。最高のおみやげに。

なお、《木曽海道六拾九次之内》 は、企画展開催時以外の時もレプリカを勢揃いで展示。中山道のかつての景色を感じるためにも、宿場巡りを楽しむならばマストで訪れたいスポットだ。ちなみに同館はスポンサー企業の協力により水曜と金曜の入館料が無料になるという、とても太っ腹な施設であることも付け加えておく(2026年3月27日まで。来年度の実施は未定)。

江戸時代の街並みの名残が見られる中津川宿。

この日はさらに「中津川宿」に移動し、郷土の銘酒『恵那山』を製造する「はざま酒造」と、中山道の現地ツアーを案内しているバー「higashimino stand」を訪問。それぞれの主から郷土に対する熱い思いを聞き、初日の夜が更けていった。

「これぞ戦国の山城!」と唸らされる、断崖と巨岩の“天空城”へ

中津川市で迎えた2日目の朝は、市内中心部から車で10分ほどの「苗木城跡」へ。

木曽川沿いの断崖にある苗木城跡は、秋から春先までの季節、川霧が雲海を生み出す絶景スポットとして人気だ。この日の朝も城跡の周りを雲海が覆う絶景……とまではいかなかったが、断崖上の城に霧がかかる幻想的な景色を見ることに成功した。

木曽川にかかる城山大橋から見た、朝の苗木城跡。

ここでは「苗木遠山史料館」に拠点を置くボランティアガイドの曽我秀夫さんの案内で、城内の史跡を巡ることに。

苗木城は、大永6年(1526年)頃に建てられた戦国時代の城だ。城主の苗木遠山氏は織田信長と密接な関係があったが、本能寺の変の後、豊臣秀吉の命を受けた森長可に2度にわたって攻められ一時没落。その後、徳川氏に仕え、関ケ原の戦いを前に領地を取り戻し、以降、苗木藩約1万石の大名として明治の廃城までこの地を収め続けた。

苗木城を案内してくれた曽我秀夫さん。「苗木城跡案内ボランティアの会」で会長を務める。

「ここにも大きな石があるように、この辺一帯は花崗岩が隆起してできた山。苗木城はこうした大きな石を利用して築かれた城で、小屋を立てる土台などにも自然の石が使われていました」とこの城の特徴を解説してくれた曽我さん。その天然の地形を基盤にして組まれた石垣には、初期の積み方である野面積みから打ち込みはぎ、切り込みはぎに谷積みと年代の異なる複数のスタイルが見られる。

天然の地形と岩の上に築かれた、ダイナミズムあふれる石垣。

数々の大岩の中でも特に息を呑んだのが「馬洗岩(うまあらいいわ)」だ。

「籠城戦で兵糧攻めに遭った時を想定し、上の平らな面に馬を乗せ、米で馬を洗うことで、水が十分あると敵に見せかけるための岩だった」(曽我さん)という謂れが残る周囲約45メートルの大岩は、下から見上げるとこれまたその巨大なスケールに驚かされる。

嘘か誠かの謂れが残る馬洗岩。

また、天守跡に向かう道から見る大矢倉は「岐阜のマチュピチュ」と呼ばれる風景で、曽我さん曰く「著名な大学教授が『本物のマチュピチュと見比べても、ここが一番素晴らしい』と認めた」という景色とのことだが、さて皆さんの目にはどう映るだろう。

マチュピチュにそっくり!?

そして、ようやく辿り着いた天守跡の展望台から眺めるパノラマは、下の写真を見れば説明不要であろう絶景。それと同時に「こんな高い断崖の山城を森氏はどうやって攻め落としたんだろう?」とますます興味を抱かせる、凄みに満ちた景色でもあった。

周囲の山々を望む、天守跡展望台からの景色。

ちなみに、かつてここを攻めた足軽のごとく天守までを目指す道は、平均年齢40歳ほどの我々でも息が上がるほどの斜面だったが、そんな険しい道をスイスイと往く曽我さん(77歳!)の元気さに脱帽。「忙しい時期は一日に2回ガイドすることもありますよ」と余裕ある表情に東美濃人の健脚ぶりを思い知らされた。

来年2026年は築城500年のメモリアルイヤーにあたり、「やはり500年というのはすごい歴史で、苗木城には歴代のお殿様が書いた日記も残ったりしているので、ぜひ苗木遠山史料館と併せてたくさんの方々に来ていただきたい」と曽我さん。絶景を見るだけでなく、曽我さんたちボランティアガイドの元気な笑顔にも会いに来て欲しいと感じるスポットだった。

そして3日間にわたるツアーの中間となるこの日の昼は、馬籠宿でランチタイム。大勢の観光客でにぎわう昔町散策を楽しんだ。

東美濃観光のハイライト、馬籠宿。

「beyond the 馬籠」を合言葉に馬籠宿より西の宿場とその周辺を訪れた前半の行程はこれにて終了。次回のツアー後半は、東美濃エリアの伝統産業に紐づくアート&クラフト体験の旅をお届けする。

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