「代々木をアイドルの聖地に!」 元実演販売士からアイドルプロデューサーへ転身した男が抱く野望とは?

“アイドル”の定義が曖昧になったのは、いつの頃からだろう? 記者がアイドルに夢中になったは、小学五年生の時。伝説となった「花の82年組」が誕生する2年前、1980年のことだ。もう40年以上も昔のことなので記憶が曖昧になってはいるが、黒柳徹子と久米宏が司会を務める『ザ・ベストテン』を毎週欠かさずに観ていたことは覚えている。確か『3年B組 金八先生』に出演していた「たのきんトリオ」のトシちゃんとマッチがブレイクして、ベストテンをはじめとする音楽番組で見かけない日はなかったはずだ(筆者はヨッちゃんが一番好きだった)。そして、この「たのきんトリオ」こそが後のジャニーズ帝国を作り上げる礎となったのは間違いない。

一方、女性アイドルはどうだったかというと、松田聖子や河合奈保子、柏原芳恵など、これまた音楽番組で見かけない日はないほどの大活躍。この頃の女性アイドルは歌が上手く、今も歌い継がれる名曲がたくさん生み出されたのも特徴だ。アイドル専門誌『明星』の付録歌本「ヤンソン(YOUNG SONG)」で歌詞を覚え、歌番組に合わせて歌うファンも多かった。そう、当時のアイドルは歌番組に出演して、世間に歌手として認知され、若者に人気がある人たちのことを指していたのだ(※あくまでも舌肥としての意見です)。

ところが、そんな図式もおニャン子クラブの登場で一変する。『夕やけニャンニャン』(1985〜87年/フジテレビ)のオーディションで選ばれた普通の子がおニャン子クラブに加入し、一夜にしてスターになってしまうという企画は、「手の届かない画面の向こうの人」から「ちょっとかわいい近所の女の子」へとアイドルの価値観を変えてしまった。それは現代のAKB48にも踏襲され(企画はどちらも秋元康)、80年代初頭とはまったく別のアイドル像が今や当たり前のものになっているのが現状だ。だが、それが悪いと言っているわけではない。とくにAKB48を筆頭に、ご当地アイドルから全国区へと成功した例も少なくなく、普通の子がアメリカンドリームのようにスターになれる仕組みを構築したことに対しては脱帽するしかない。

前置きが長くなったが、今回から何度かのシリーズに分けて取り上げたい人物を紹介しよう。彼の名は「ヒエ」。見た目は派手な金髪だが、別にアイドル志望ではない。二桁の尿酸値を気にする、中身は普通のアラフィフだ。ヒエ氏の前職は「実演販売士」。そこから転身して、今はアイドルプロデューサー業を営んでいる。なぜ実演販売士からアイドルプロデューサーに? その経緯を本人に聞いてみた。

実演販売士、やってましたね。30代に5〜6年ほどかな。デパートやショッピングモールはもちろん、テレビショッピングでも実演して、最後はマネジメントも行ってました。というのも、売れっ子だったんですよ、自分。大体仕事は土日なんですが、基本はピンなので同じ土日に依頼が複数きたら対応できないんです。だから弟子を育てて、自分から漏れた仕事は彼らに回すという方法をとったわけです。ビジネス的にもおいしいし。そういえば、自分は機械音痴なんですけど、家電の実演販売もずいぶんやりました。実は、実演販売に知識なんて関係ないんですよ。だって、知識なんて説明書がついてるんだから必要ないでしょ。どれだけ人を誘惑できるか、これが実演販売のキモです。
でもね、ある時すごくつまんなくなっちゃって、急に。自分がいいと思っていないものでも実演販売すると売れちゃうんですけど、「それを持って帰った人ってどうなんだろう?」なんて、ちょっと冷静になっちゃったりもして……。5年間、全国を飛び回って実演販売したので、自分の中でもひと段落したのかな、と思って辞めました。「その程度のキャリアでやり尽くしたとか言ってんじゃねえよ」って実演販売の先人たち、先輩方に言われそうなんですけど、次のステージに行きたいなと。
実演販売時代に会社を作っていたんですが、そこでは映像やマーケティングの仕事も受けてたんですね。動画配信もまだまだこれからっている時なんですが、徐々に仕事も増えてきて、芸能人さんとか色んな方のYouTubeチャンネルを担当する中で、再生数や登録者数をゲットするノウハウやスキルを身に付けました。じゃあ、誰かに依頼されてじゃなく、自社で何かやろうかなと思っていた時にアイドルプロデュースをやらないかという話が来たんです。それまでもアイドルプロデュースの話は結構あったんですけど、断ってたんですよ。だって、大変そうじゃないですか。でも、信頼できる仲間3人から同時にアイドルプロデュースをやろうって言われて、「これは逃げられないんだな。なら、やっちゃいますか!」という軽いノリでスタートしました。
で、せっかくやるんならどこを本拠地にするかを考えたんですけど、渋谷とか原宿、秋葉原には、すでにライバルがいるじゃないですか。そんなレッドオーシャンにわざわざ飛び込んでもしょうがないし、どうしようかなと考えた時にふと気づいたのが代々木の存在でした。自分をこの道に誘った3人のひとりが森ふうかちゃんという女の子のアイドルなんですけど、彼女ひとりで代々木を盛り上げたんですよ。もともと仕事仲間だったし、彼女ひとりに戦わせておくわけにはいかないというのと、代々木に7年間住んでいて毎晩飲み歩いていたこともあってこの街には愛着もあるし、いいかなと。それに、代々木って結構穴場なんですよ。隣は原宿、新宿だし。あと、オーディションサイトに募集をかけるんですけれど、ちょっと差別化を図るようなワードとかがないと結構埋もれちゃうんですね。Kポップ系とかジャニーズ系といったワードだとダメですね。でも「代々木に活動拠点を置いた」とか「代々木プロジェクト」ってすると埋もれないんです。

代々木プロジェクトから誕生した最初のアイドルユニット「Tender Planet(略してテンプラ)」。メンバーは向かって左が楠木淳(クスノキジュン)、右が日坂たいよう(ヒサカタイヨウ)。

ウチはメンズアイドルを専門にやっていて、実は今日(12月10日)のオーディションで2組目が誕生するんですが、来年末には代々木プロジェクトから5組目を誕生させるのが今のところの目標です。それで代々木を盛り上げてアイドルの聖地にして、オーディションからデビューした子が一年後にはアイドルの道で食べていけるようになれればいいな、と思っています。で、いつか「代々木のジャニーさん」って呼ばれたいですね(笑)

オーディションの様子を真剣に見つめるヒエ氏。
Tender Planetに続く2組目オーディションの合格メンバー。

「代々木をアイドルの聖地に!」の野望を胸に、着実に一歩ずつ歩みを進めるヒエ氏。ひょっとしたら「代々木のジャニーさん」と呼ばれる日は、そんな遠い先のことではないかもしれない。

次回はメンバーの活動現場からリポートをお届け。乞うご期待!

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